トランネット会員の翻訳ストーリー
大川修二(第652回オーディション・第173回Job Shop入賞者)
翻訳ストーリー
私が翻訳の仕事を始めたのは1996年。最初は翻訳専業であったが、2001年から企業研修講師と掛け持ちとなり、そのうち講師業の方が本業になってしまった。
出版翻訳に限っていうと、最初の5年間の専業翻訳家時代に11冊、掛け持ちの4年間に4冊の訳書を出させていただいたが、その後2006年から2020年までの15年間は、ある大恩ある方からの勧めで1冊訳したという例外はあるものの、完全に翻訳の世界から遠ざかっていた。
そんな私が2021年3月に復帰を思い立ったのは、予定されていた企業研修がコロナ禍で片っ端からキャンセルとなり、収入激減、自由時間激増という事態に見舞われたためだった。その頃トランネットに掲載されたJob Shop課題に応募し、幸い訳者に選定され、再び翻訳に没頭する日々を送ることになった。
翻訳活動を開始したのが35歳で現在は61歳。26年の間に翻訳を巡る環境(特にIT環境)はめざましい進化を遂げ、生産性は飛躍的に向上した――と一般には言えるのだろうが、10数年ぶりに訳書を手掛けることになった私の実感は少し違う。肝心の私の方が劣化したためだ。その実例を挙げたので、人生100年時代に長く翻訳を続けたいという方の参考になれば幸いである。
【目】
●長時間パソコンの画面に向き合えば年齢に関わらず目は疲れるが、疲労度が半端ない。疲労を感じ始めるまでの時間は以前より短くなり、回復には時間がかかる。若い頃の感覚でスケジュールを組んでしまうと終盤に慌てる羽目になる。
【手・指】
●中学校時代、授業に英文タイプ(過去の遺物?)の練習が組み込まれていたので、今もブラインドタッチのスピードはそれほど落ちていない(と勝手に思っている)が、目と同様、手・指の疲れを感じるのが早くなってきた。タイプミスが以前に比べて増え、生産性はがた落ち。苛々ばかりが募る。
【加齢に伴う自分自身及び周囲の変化】
若い頃には想像もしていなかったような事態に遭遇し、翻訳できない日が続くこともある。詐欺被害にあった親の対応に追われたり、私自身が締め切り間近に救急搬送されたり。自分が歳をとるということは親の老化が一層進むということでもあるのだと実感した。
スマホ世代の息子は当たり前のように音声入力をしている。翻訳の世界もそういう方向に向かうのだろうか? 「おっしゃることがわかりません」などと機械に言われると(今もSiriに言われることがある)疲れるし激昂しかねない。
仮に100歳まで現役で翻訳を続けることになったら、どんな環境でどんな仕事の仕方をするのだろうか。まあ、どうなっても頭と体の健康は維持しておかなければやっていけないのは確実だ。
ということで、是非皆さんも今のうちから肉体的・精神的健康の維持・向上を図られるよう、強く強くお勧めしたい。
福知里恵
翻訳ストーリー
10代の頃から英語を使った仕事がしたいと考えるようになり、大学卒業後、社内翻訳・通訳者を募集していた機械メーカーに就職しました。図面や契約書の英訳、海外のお客様のアテンドなど、さまざまな部署と連携しながら貴重な経験をさせていただきました。そんな日々の中で、自分が本当にやりたいのは英語をツールとして使う仕事ではなく、英語そのものにじっくりと向き合う仕事だという思いを強くし、8年半勤めた会社を退職後トランネットに入会しました。もう20年近く前のことです。
初めてのオーディション応募で幸運にも入賞し、ボリュームのあるビジネス書の翻訳作業がスタートしました。課題訳文は好きなだけ時間をかけて推敲できるものの、仕事となると納期もありそうはいきません。納得も手応えもまったく感じられないまま、機械的にこなすので精一杯だったのを覚えています。おそらく当時担当してくださったコーディネーターさんは、入賞した課題訳文とあがってくる訳稿とのレベルの差に、愕然とされたのではないでしょうか……。今でも、サンプル訳文を先に提出する案件では、その後の全体訳でレベルが落ちてしまわないようにという変な(?)緊張感があります。
これまでの約20年間、さまざまなジャンルの文章のリーディング、概要作成、チェック、下訳、上訳を担当させていただきました。自分では手を出さない分野の最新の情報に触れられ、トランネットの「世界の知と愉しみを分かち合う」というミッションの一端を担う翻訳者自身もその愉しみを存分に味わえるのが、この仕事の最大の魅力だと感じています。子どもたちを出産したり別の仕事が忙しくなったりして翻訳から遠ざかっていた時期もありましたが、細くとも長く続けられているのは、徹底してきめ細やかなフォローをしてくださるスタッフの皆さんのおかげです。訳文という商品の質を上げることで少しでも恩返しができるよう、これからも研鑽を積んでいきたいと思います。
山本泉(第412回オーディション入賞者)
翻訳ストーリー
20代のとき、「言葉にかかわる仕事がしたい」と思い立って役所勤めを辞め、フリーランスのビジネス翻訳者になりました。10年余り経験を積んだところで、違う分野の翻訳もしてみたいと思い、翻訳コンテスト等に応募を始めました。トランネットのオーディションにも手当たり次第挑戦しては落っこちたあげく、幸いロマンス小説のオーディションにひっかかり、翻訳を担当させていただけることになりました。
以来14年間に、共著書も含めると20冊以上の訳書を出すことができました。ジャンルはロマンス小説を皮切りに、経営やマーケティングや政治から、投資戦略、自己啓発、挙句はダイエットまで。よく言えば守備範囲が広いのですが、悪く言えば一貫性がないともいえます。お声かけいただいた案件を、片っ端からお引き受けした結果です。加えてビジネス翻訳も続けているので、フィクションを訳す合間に契約書を訳したり、午前中に製品マニュアルを訳したら午後からは経営本を訳したりというありさまです。
しかし振り返ってみると、そんな何でも屋的翻訳人生もあながち間違ってはいなかったと思えます。一見脈絡のなさそうな案件ひとつひとつが、英語という同じ言語の多様な顔――多様な文体やボキャブラリーやニュアンス――に接する機会となって、翻訳者としての総合力アップにつながっているのを実感するからです。これが計画的なら先見の明があったといえるのですが、残念ながら結果論です。でも結果オーライなので良しとしましょう。
訳書を3冊まで紹介していいとのことですので、あえてジャンルばらばらで選びました。私自身が元気づけられた自己啓発書『金鉱まで残り3フィート』。装丁の可愛さが感動モノだったロマンス小説『月をくれた伯爵』。そしてコロナ以前からのリモートワーカーとして大いに共感しつつ訳した、コロナ下での働き方を提言するビジネス書『リモートワーク・マネジメント』です。
永瀬聡子(第655回オーディション入賞者)
翻訳ストーリー
いつの頃からか、著者の思いや本の内容に向き合って言葉を紡いでいく翻訳という作業に魅力を感じ、「いつか好きな本を訳してみたい」と思うようになりました。英語は仕事で使うこともあり、本を読むのも好きでしたが、翻訳は「いつか…」のまま年月が過ぎていきました。自分にそんなことが可能だろうか? と思ったりすることもありましたが、あるとき、結果はどうあれ挑戦してみたいと一念発起し、翻訳学校の入門講座から勉強を始めました。翻訳の勉強はとても楽しく、続けるうちに漠然としていた夢が具体化していき、トランネットのオーディションにも挑戦するようになりました。また、リーディングのお仕事をいただく機会もあり、調べ物をしながら本のエッセンスをまとめ考察する作業には、新たな世界に出会う楽しさがありました。
今回、思いがけず翻訳の機会をいただけると知った時は、とても嬉しく本当に信じられない気持ちでした。とはいえ一冊の本を訳すのは初めてで、どんな展開になるのかと不安もありましたが、トランネットの担当者さまには、進行管理から様々なアドバイスまで手厚くサポートしていただき、おかげさまで無事完走することができました。
担当させていただいた『食の哲学(原題Taste: A Philosophy of Food)』は、「食べること」にまつわる深くて豊かな世界について、様々な視点から縦横に考察がされていて、その柔軟な発想や独創的な展開に視野が広がる思いでした。哲学というと、ちょっと構えてしまいそうですが、「私はこんなふうに考えるけれど、あなたはどう思う?」。著者のそんな思いが感じられて、哲学が少し身近になった気がしました。
翻訳の勉強を始めたのは決して早くはありませんでしたが、このタイミングだからこその出会いやご縁のおかげで、夢を実現することができたと感じています。原書の世界をそのまま豊かな日本語で伝えられるよう、これからも研さんを積んでいきたいと思います。
青木智美(第175回フランス語Job Shop・第613回オーディション入賞者)
翻訳ストーリー
物心ついた頃から毎日のように図書館に通い、ほぼフィクションばかり読んできました。フィクションは当然ながら虚構の世界なのですが、だからこそ描ける人間の真実があると思っています。人生の折々で味わうさまざまな思いをぴったりの言葉で代弁してくれる小説に出会うたび、胸が震え、忘れられない一冊になる。それが読書の醍醐味の一つだと思います。
縁あってスイスへ移住し、当地の大学でフランス語を学んだのがきっかけで翻訳を志すようになったものの、不器用な私はずいぶん遠回りをしました。何の道標も持たずにもがいていた独学時代。あるコンテストで賞を頂き、励まされたのも束の間、やがて壁にぶち当たり、そこでようやく、今もご指導を仰いでいる翻訳家の先生の門を叩きました。先生に教わった翻訳の真髄には目から鱗が落ちる思いで、以来自分の宝になっています。
数年前、トランネットのアジア文芸シリーズの一作を翻訳させて頂く幸運に恵まれました。人生の一部を切り取ったような珠玉の短編集で、中でも『愛とキスを』という表題作では、歳の割に妙に冷めた少女の複雑な心の内が切なく、その心の声が聞こえてくるような不思議な感覚を味わったのを覚えています。
その後、ミステリーなどを訳す機会を頂いたのち、再びトランネットで『星の王子さま』のJob Shopを知りました。『星の王子さま』といえば聖書の次に読まれているという世界的な名作で、初めは畏れ多くて素通りするところでした。ただ、いずれは原文でじっくり読み直したい本だっただけに、せめて一次選考突破を目標に挑戦を、と締切3日前に応募を決意。幸運にも訳者に選んで頂き、喜びと同時に怖さを感じました。無事に完走できたのは何より担当コーディネーターの方々の温かい励ましと鋭いご助言のおかげです。
心に刺さるメッセージに溢れた『星の王子さま』は忘れられない一冊になりました。いつか誰かにとっての忘れられない一冊を翻訳できることを願って、不器用なりに一歩一歩進んでいけたらと思います。
木高恵子(第644回オーディション入賞者)
翻訳ストーリー
私が翻訳を志したのは、今から20年以上前にさかのぼります。当時、大阪に「バベル翻訳学校」があり、ここに2年ほど通いました。これが楽しく、翻訳家になりたいと思いました。しかし、講師が2年後に東京の大学に赴任されてしまいました。私も生活のために懸命に働かざるを得ず、翻訳からは遠ざかりました。
やがて、少し時間に余裕がでてきたので、以前からの夢である翻訳を目指そうと考えました。その頃、仕事が終わってから通えそうな翻訳学校と言えばインター大阪でした。同時に、トランネットにも入会しました。インター大阪はあくまでも産業翻訳で、私がやりたいのは出版翻訳だったのです。出版翻訳家になるには、プロの翻訳家の弟子になるというのが、よく聞いた話しでした。しかし、この年齢の私を誰が弟子にしてくれるというのでしょう。翻訳家になるのは夢のまた夢に思えていました。そのため、オンラインで入会でき、成績が良ければ、プロにもなれるというトランネットは闇に輝く希望の星に見えました。
インター大阪は厳しく、結局修了するまでに5年もかかりました。この5年の間にもトランネットには課題の提出は続けていました。成績はB+を目指していましたが、オーディション合格には程遠く、毎回自分の訳文とトランネットの訳例を比べては、自分が情けなく感じ、訳例はノートに書き写して次回はもっと納得のいく訳文を作ろうと自戒していました。そのうちに、上位10人に選ばれることがありました。うれしくて何度もマイページを見てしまいました。
そして今回オーディションで選ばれ、自分の幸運が信じられませんでした。最後になりましたが、今回の翻訳では、トランネットのすばらしいコーディネーターが私以上に原文を読み込み、叱咤激励してくださり、そのおかげで夢を実現することができました。本当にありがとうございました。
村山哲也(第172回韓国語Job Shop入賞者)
翻訳ストーリー
仕事上の必要があり40代で出会った韓国語。語学教室に通い、多少喋れて読めるようになると欲が出た。翻訳をやってみたい。ふと目にした「韓国文学翻訳新人賞」に初めて応募した。短編小説を翻訳。あっ、俺ってこういうの好きかも。楽しんでいる自分に気づいた。読みを深め作品世界を想像し、言葉を選び日本語を紡いでいく。その作業の面白さにハマった。
でも何回か応募を重ねるうちに自分の力の無さに気づく。翻訳スクールに通った。そのご縁で『韓国映画100選』(クオン)の翻訳協力に参加させてもらい、これを機に「翻訳したい!」に火がついた。仕事として本腰入れてやってみたい。勉強を重ねつつ機会をうかがい始めてすぐにトランネットの「韓国語リーダー募集」を知った。これがご縁。大きなご縁。
レジュメを提出し入会がかない、ほどなくJob Shopの募集があって飛びつくように応募した。作品は『誰でもかんたん!かわいいミニイラストの描き方』。読みやすく柔らかい文体を心がけた。アプリの解説は実際にスマホで操作して確かめながら訳文をつくり応募した。訳者に選ばれたと知らせを受けたときは飛び上がるほどうれしかった。初仕事は、用語のチェックに細心の注意を払い、リサーチにずいぶん時間をかけた。やがて2冊目のお話をいただきトライアルを経て『おしゃれなライフスタイル 動画撮影&編集術 Vlog by seuddu』を翻訳した。著者のVlogをたくさん見たし、動画編集ソフトを実際に確かめ正確な訳文を心がけた。
2冊を通じ、翻訳にはとてつもない「生みの苦しみ」があることを知った。リサーチには膨大な時間がかかる。何度も訳文を練り直す。本業との両立で時間は足りず、早起きして「朝翻」をするようになった。でも、とことん調べ、音読して確かめ、納得のいく訳文ができると、生みの苦しみは無上の喜びに変わるのだ。今後も、ノンフィクションや小説など、幅広く挑戦し続けていきたい。
加藤智子(第630回・第649回オーディション入賞者)
翻訳ストーリー
中学生のころ、学校で年に一日だけ洋書の出店が開かれていました。生徒玄関の隅の方に置かれた長机の上に並ぶのは、『くまのパディントン』や『秘密の花園』など、小さいころから何度も繰り返し読んできた、見慣れた本たちでした。ただしもちろん、言語は英語です。自分がいつも呼吸するように読んでいる本は、誰かが訳してくれたものだったんだ、という事実を初めて本当に理解して、目の前がパッと開けるような気がしました。あの時の衝撃と興奮は、今でも鮮やかに覚えています。
大学卒業後にいったん就職した後、翻訳への興味を抑えきれずに、英国に留学して文芸翻訳の修士課程で学び、その数年後にはより実務的な技術を身につけるために米国の大学院で翻訳・通訳の訓練を受けました。文芸と実務の両方を学んだことで、原作の世界観をできるだけ再現するという基本的な姿勢だけでなく、リサーチやスタイルガイド順守の徹底、客観的な視点をもつことの重要性などを知ることができたように感じます。
幸運にも、トランネットでは分野もトーンも全く異なる2冊の本を訳す機会をいただきました。1冊目の『なぜ心はこんなに脆いのか』は、進化精神医学に関する専門的な部分はもちろん、著者の熱い情熱も伝わる訳文を目指しました。2冊目の『ジョン・レノン 最後の3日間』は、大好きなジョンの伝記ということで、お話をいただいたときは本気で「夢かもしれない」と思いました。原文から立ち上がるリバプールやニューヨークの街並みや、登場人物たちのおしゃべりを、できるだけそのまま写しとりたいと願いながら訳しました。どちらも長丁場で、最後まで走り通せるのか不安もありましたが、トランネット担当者さまの温かい支援のおかげでゴールに辿り着くことができました。
今後はノンフィクションに加えて、ヤングアダルトなど若い人たちに本の素晴らしさを知ってもらえるような作品にもぜひ挑戦したいと思っています。
服部こまこ
翻訳ストーリー
子供の頃から『不思議の国のアリス』などの海外のお話が好きで、中高生になるとおこづかいを貯めて書店で原書を探すようになりました。あるとき、外国絵本の専門店で、幻想的なイラストの大型本に心を奪われました。それは、世界各地の神話や伝説に登場する架空のキャラクターをアルファベット順に解説した辞典でした。どうしても欲しくなりましたが、洋書は高額です。日本語版があるかどうかお店の人に尋ねると、日本ではまだ出版されていないことがわかりました。「それならいつか自分で訳してみたい!」。初めてそう思い、奮発してその本を購入しました。翻訳という新たな目標ができて、ワクワクしたことを覚えています。
その後、アートや世界史への関心が高まり、進学して美術史を専攻しました。翻訳の初仕事は、先輩に紹介してもらった東南アジアの遺跡の写真集のキャプションです。部分的にでも自分の訳文が本という形になり感動しました。
それから、いくつかの分野の職場で働きながら、業務の一環として社内資料やニュースレターを訳す一方で、書籍翻訳の夢も忘れられず、共訳プロジェクトに参加したりしました。
転機になったのは東南アジアでの暮らしです。家庭の事情でシンガポールとマレーシアに8年間住みました。子育て中でもあり、家でできるライティングや翻訳の仕事をしながら、現地作家の面白い絵本を探したり、アジアらしい風物を描いたりするようになりました。
帰国後、持ち帰った絵本の一冊をある出版社に持ち込んだところ、翻訳して出版できることになりました。またトランネットで東南アジア文芸の翻訳オーディションがあることを知り、すぐに入会して応募しました。最終候補には残ったものの選ばれませんでしたが、後に『Procreateビギナーズガイド』のお仕事につながりました! 当時、ちょうどProcreate(お絵描きアプリ)を自分でも使い始めたところでしたので、翻訳しながらデジタルイラストの基礎を学ぶことができて大変幸運だったと思います。今後も翻訳を通して世界を広げていきたいです。
葉山亜由美(第648回オーディション入賞者)
翻訳ストーリー
小学生のときに、親の勧めでなんとなく通い始めた英会話教室で、初めて目にする大柄の外国人に驚き、字も発音も、日本語とまったく違う言葉に「なにこれ……! 面白い!」と思ったのを覚えています。
それ以来、日本語と英語の違いが面白くてしかたなく、社会人になってからも勉強を続けました。もともと本を読むのが好きだったので、洋書も少しずつ読むようになりました。いくつかの仕事を経験したあと、何年間かブランクを経て、産業翻訳の仕事をする傍ら出版翻訳の仕事もしてみたいと思い、トランネットのオーディションを受けることにしました。何度か応募を重ねるうちに、リーディングのお仕事をいただけるようになり、一つ一つ丁寧に取り組みました。その後も応募を重ねましたが、何度か一次候補に選んでいただいたものの、なかなか最終訳者には至らず、焦りが募りました。このままずっと結果が出なかったらどうしよう、やはり出版翻訳を目指すなんて無理なんじゃないかと、何度も諦めそうになりました。
そんな中、ふと、挑戦すること自体が楽しくなってきたのです。「チャレンジャーズハイ」という言葉があるのかどうかはわかりませんが、目標があって、それに向かっていること自体が幸せなことだと思えてきたのです。こうして余分な力が抜けた矢先、新しくオーディションの課題が送られてきました。その原文とイラストに一目惚れし、「訳したい!」と強く思ったのを覚えています。でも結果にこだわらず、自分がベストだと思う訳文を送りました。それが、今回出させていただいた訳書につながりました。オーディションを受け始めてから、23回目のことでした。
実際の翻訳作業はとても楽しくもあり大変でもありましたが、トランネットの皆さんの心強く、あたたかいお力添えのおかげで無事に完走することができました。訳者に選んでくださった出版社様にも、深く感謝しています。
青樹玲(第642回オーディション入賞者)
翻訳ストーリー
翻訳って楽しいなと感じたのは、大学時代のことでした。英米文学科で学んでいた当時は、文学でも雑誌記事でも、とにかく英語の原文を理解して日本語の文章として表現することが、ただ楽しいと感じていました。卒業後は海外小説、英語学習誌、英語教材書籍の編集や、デジタル英語教材の開発に携わりながら、翻訳の勉強を続けてきました。
そうこうするうちに20年ほどが経ち、「いつの日か……老後を迎えるよりは少し前くらいに、翻訳者としてデビューできたら、人生がもっと楽しくなるだろうな」と思うようになりました。
ちょうどその時、トランネットのオーディションでいわば「目が合った」のがデビュー作となった『Lost Companions』でした。動物への愛情にあふれる著者の詩的な文章に引き込まれ、いざ訳してみるとわくわくしてきて、同時になぜかどこか懐かしいような気持ちにもなりました。何度も推敲してから応募し、それだけでとても満足して、達成感を味わっていたように思います。後日、担当させていただくことが決まり、「これは大変なことになった、あの数枚の原稿の何倍だろう」と慌てふためいたことを覚えています。
少し遠い日の目標として置いていたものが、急に目の前に来てくれた。普通列車を乗り継いで京都旅行に行こうとしていたら、京都のほうが来てくれた、くらいのインパクトでした(ちなみに関東在住です)。ですが、原書を大好きになっていたので、嬉しくて跳びはねる自分もいました。プロとして1冊すべてを訳すという体験は初めてで、不安な気持ちもありましたが、トランネットのきめ細やかで優しいサポートのおかげで無事、訳了することができました。これからも素晴らしい原書との出会いやご縁を大切にして、翻訳という、楽しくて、自分を成長させてくれるお仕事にじっくりと向き合っていきたいと思っています。
久木みほ(第166回Job Shop入賞者)
翻訳ストーリー
幼いころから本を読むのが好きで、毎月1冊ずつ買ってもらえる子ども向けの外国文学全集が何よりも楽しみでした。高校生になったころから海外ミステリーに夢中になってアガサ・クリスティーの作品を読みあさり、いつかは自分の訳書で作品を読んでもらいたいと思うようになりました。しかし、年齢とともにビジネスに関心がうつり、マーケターとして企業に勤務するようになると翻訳への関心もうすれていきました。
そんな中、業務のために翻訳をする経験を重ねるうちに、「英語ができる」だけでは翻訳はできないことを痛感しました。表面的辞書的な理解にとどまらず真意をくみとる力も必要であり、さらに文化背景の違いや該当ジャンルに関連する知識の多寡など受け手を想定する配慮もなければ、本来伝えるべき内容は伝わりません。それは、メーカーが消費者に提供したいメリットをいかに理解や共感を得られる形で製品として体現し各種コミュニケーションで伝達するかというマーケティングと、驚くほど類似していました。
そこで、マーケティングコンサルタントとして独立したのを機に、同質の思考プロセスを必要とする翻訳にも本格的に携わる決意をしました。実務翻訳を手がけるかたわら出版翻訳の学校で経験と知識を積み、トランネットほかの公募機会に挑戦し続け、2020年のJob Shopで『カスタマーサクセス・プロフェッショナル』の下訳のお仕事をいただき、続いて2021年の『アウェイ・ゲーム』で念願の「自分の訳書」を世に出すことができました。お声がけいただきましたトランネットの皆さまには、この場をお借りして深く感謝申し上げます。
現在までに関わらせていただいた書籍はいずれもビジネス書であり、それが自分の得意分野であるとも自任しています。今後は自分の強みをさらにブラッシュアップしつつ、翻訳に興味をいだく原点となったミステリーを翻訳する機会にも挑戦していきたいと考えています。
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