ブックレビュー ブックレビュー

原題 The Ghost Brush
著者 Katherine Govier
分野 歴史フィクション
出版社 HarperCollins Publishers
出版日 2010年5月5日
ISBN 978-1554686438
本文 19世紀後半の江戸時代。度重なる飢饉や幕府の改革に嫌気がさしていた江戸の人々のあいだでは、暗い雰囲気を吹き飛ばすために、あるときは飄々と、あるときは耽美的に、町人の生活を描く文学や芸術が次々と生まれていた。世界に名だたる浮世絵師、葛飾北斎もまた、この時代に活躍した芸術家のひとりであった。北斎は90年という長い生涯のあいだに数々の優れた作品を世に残しているが、そのかたわらには常に娘、応為の存在があった。

北斎は、応為をことのほか可愛がり、どこへ行くにも娘を同行させた。父に連れられて、幼いころから遊郭や茶屋、歌舞伎座などに出入りしていた応為は、否が応でも世の不条理と性差別を目の当たりすることとなる。

思春期を迎えた応為は、絵画の才能を開花させ、本格的に父の創作活動を手伝うようになった。文字通り、浮世絵師北斎の右腕となり、女として人間としてさまざまな辛苦を経験していくうちに、彼女の中で絵師として生きる決心が固まっていく。応為は、女であることを忘れ、遮二無二に絵の世界に没頭したが、この時代、女が仕事のうえで男と肩を並べることは難しかった。絵師としていくら腕を磨いても、どれだけ献身的に父を支えても、応為の名前が世に出ることがない厳しい現実。しかし、彼女はそんな時代の波に翻弄されながら、人間としての存在意義、芸術家としての誇りを胸に、自分の筆を信じて、死ぬまで創作の道を究め続けた。

非凡なる画才に恵まれながら、葛飾北斎という偉大な父の影に隠れ、画家として日の目を見ることなく生涯を終えた娘、応為の悲しくもたくましい生き様が、カナダ人女流作家の手によってまるで浮世絵のごとく色鮮やかに描き出された秀作。