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原題 Genius Loci
著者 John Dixon Hunt
ページ数 248
分野 歴史(ヨーロッパ文化史)、ガーデニング
出版社 Reaktion Books
出版日 2022/11/17
ISBN 978-1789146080
本文 イギリス出身の著名な庭園史家が、長年の研究を土台に、さまざまな「場」が持つ意味を考察した随筆集である。

ラテン語「ゲニウス・ロキ」は、本来はゲニウス、すなわち場に宿り特別な意味を与える「場の守護霊、地霊」を指すものとして使われていたが、時と共に「場の空気、精神性」、さらには「場の特質」を指すものへと変化していった。人は場から受けた印象を、言葉で書き残すことができる。あるいは絵に描いたり写真に撮影したり、作曲家であれば音楽として表現することもできるだろう。この本で紹介されるのは、「場」に対して人間が取ってきた、そうしたさまざまなアプローチの事例である。

著者はまず「ゲニウス・ロキ」という言葉の意味の変遷をたどった上で(1章)、この言葉自体に懐疑的な立場、つまり「人が与えてこそ、場は意味を持つ」という見方も根強くあることに触れる(2章)。ここで主に紹介されているのは、1990年代に「ゲニウス・ロキは存在するのか」という問題を提起したフランスの哲学者アラン・ロジェと、地理学者オギュスタン・ベルクの議論である。

第3章以降は実際に「場」を見、語り、記録する様々な試みの例が紹介されている。まず19世紀イギリスの評論家、ジョン・ラスキンがイタリアのトルチェッロ島を訪れて残した文章とスケッチの例を引き、その先進性を指摘している。著者によれば、イギリスのロマン主義の画家J. M. W. ターナーに感化されていたラスキンは、その作品が現実の複製ではなく、心に焼きついた印象を写したものであると理解していた。そして自分の足で歩き回り、自身の視覚、聴覚、嗅覚を使って捉えたものこそが、心象をより真に迫った深いものにする、とも気づいていた。第4章では、絵画の分野からそのターナーと、20世紀初頭に活躍したポール・ナッシュ、ジョン・ナッシュの兄弟を取り上げ、画家ならではのやり方で風景の情趣を見出し伝えるという、三者に共通する特徴を指摘している。続く第5章は、ローマの詩人ホラティウスの『詩論』の一節「詩は絵のように」をタイトルに引き、前の章との連続性を感じさせている。論じているのは風景や場をテーマにしたイギリス詩人の作品であり、中でもロマン派のウィリアム・ワーズワースとサミュエル・テイラー・コールリッジにページを割いている。さらに第6章はヘンリー・ジェームズ、D. H. ローレンス、フォード・マドックス・フォード、ロレンス・ダレル、ポール・セローという5人の作家たちが、それぞれ南仏プロヴァンス、メキシコ、キプロス島を訪れ、現地の印象を旅人の目線で記した紀行文を紹介している。ここまでの4つの章で、著者は1970年代に追っていたテーマに立ち返り、庭園史に留まらない、イギリス文化史全般への造詣の深さを披露している。

逆に最後の第7章は、著者が2000年代以降、中心に据えてきた景観設計のテーマに当てられている。場の意味を明確にし、人が訪れ、時間を過ごしたくなるような魅力を与えるために、設計者が広場や庭園に凝らした工夫の例が、写真と共に紹介されている。歴史を踏まえた上で新たな意味を与える、という設計者の意図を考察するために、同じ場所の昔と今の光景を、同じアングルで撮って比較しているのが興味深い。

結論の章では、「ゲニウス・ロキ」の多義性と可能性を論じているが、このキーワードが、すべてにつながる「鍵」となっている。読者は、著者が長年にわたり手をかけ育ててきた豊かな思索の庭に、足を踏み入れたような感覚を味わうことができるだろう。