「TERMINAL MAN」
 「ターミナルマン」

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                 『イギリス』という名の希望  2005/08/15

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            7月25日、シャルル・ド・ゴール空港第一ターミナルに到着。
            すぐにショッピング階に向かう。ニューススタンドの角を曲っ
            たとたん、 Sir Alfred がいた。


バイバイ・バーの赤いベンチは10年前よりずっと古びてはいるけれど、まさにうわさ通りだった。私がイギリスから来た、というと微笑んで席を勧めてくれた。M&Sの食料品の入った袋を渡すと、「イギリスの食べ物は何よりだ」とすぐに缶詰の果物を開けて食べ始めた。そしてポケットからユーロ紙幣を出すと、私の分のコーヒーも買ってくるようにと言う。

アルフレッドは病気で、空港の医療スタッフが毎日、健康チェックにくる。「君、アルフレッドの本の翻訳者だって? だったら急がないとね。彼、死にかけてるんだ。」スタッフの一人がアルフレッドの人差し指に針を刺して血液検査をしながら「左肺が全然機能していないんだよ」と言う。アルフレッドがもごもごと抗議する。「こんなやり方は嫌いだ、毎日、血をとるなんて・・・」。

「いい加減、入院しろよ、アルフレッド!」職員がフランス語で話しかけると、「わしは英語しか話さん!」とにべもない。「OK、OK」職員は私に向き直ってウィンクした。
「アルフレッドは恐ろしく頑固なんだよ。この間、知事と空港のトップが入院するように説得に来たんだけど、それでも駄目だった。偉いさんとしてはここで死なれて、それをマスコミが書き立てるとすごく困るんだがね」

               


「わしはここで身分証明書を待っているんだ」アルフレッドはチーズを口に運ぶ。「ほら、イギリスのチーズだ。こんなうまいもの、もう半年も食べてないよ」。

「サインをしたら身分証明書が使えるようになるんでしょう?」と私は聞いてみた。「あれは期限切れだよ。それに名前が間違っとる」それが返事だった。

医療スタッフが私に「ボン・ヴォヤージュ」と挨拶して立ち去ると、アルフレッドは首を振り「肺ってどんな機能をするんだ?」と訊ねた。大学教育を受けた人が肺の機能を知らないの? この本ではアルフレッドはブラッドフォード大学にいたことになっているが、さらにロンドンのLSEにも2年間在学したという。写真を見せると、懐かしそうに「ハイド・パークには週末ごとに行ったものだよ。綺麗になったなあ」とつぶやいた。

でも本当なのだろうか? そもそも本に書いてあったことは事実なのだろうか?「大学の友達は来ないんですか?」そう訊ねてみると、新聞を広げて聞こえないふりをする。
一つだけはっきりしたことがある。少なくとも彼はイスラム教徒ではない。なぜなら「わしの好物はイギリスのハムとベーコンだ」と言いきったのだから。顔立ちも訛りも中東の人間だが、豚肉を食べるならムスリムではないだろう。

最近、アルフレッドに仲間ができた。イラク帰りのアメリカ人、クリフだ。イラクには戻りたくないが金にはなる。テキサスに帰りたいが仕事がない。そう言って朝からビールを何本も開けながらアルフレッドの側に座っている。アルフレッドはクリフが置き散らかした新聞を神経質に集め、クリフの荷物の上に重ねる。クリフはアルフレッドとは違ってパスポートを持っている。でも行く先に迷い、空港に留まって
一週間にもなる。いつかアルフレッドがいなくなったら、バイバイ・バーのベンチはクリフのものになるのだろうか。
酔ったクリフがうっとうしくなり、「日本でこの本の訳書が出たらお送りします」と約束して立ち上がった。アルフレッドの手は大きく、乾いていて温かかった。

出発ロビーに移る。人々は急ぎ足に歩いていく。空港は、ひっきりなしにアナウンスが流れ、いつまでも居られるようなところではない。でも、ここでアルフレッドを支えているのはイギリス、それも、彼の心にある『イギリス』への思いだ。仮に今、ヒースローに降り立ったとしてもそこはアルフレッドのイギリスではない。彼の『イギリス』は彼が創り出した夢の国なのだから。
日本に帰ってからも、ふっとアルフレッドを思う。彼にとって、私は何百人もの訪問者の一人に過ぎないだろうが、私にとっては、これほど人生について考えさせてくれた人はいない。
人は希望さえあればどんなところでも生きていけるのだ。

これまでの人生で一番辛かった頃、本書の訳者に決まった。著者の人生への姿勢に倣いたい。流れに逆らわず、しかし自分を見失わない。信念こそが生きる原点なのだ。
                         ターミナルマン 翻訳者 最所篤子




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